いつかはそうなるのだと思いつつ、腹の中ではまだまだ先の事さと高を括っていた。
  今、まさにその状態、「高齢者」としての生活を送っている。

  不完全燃焼の人生には悔いばかりが残っているのにも関わらずである。
  家族の状況は常に変化する。こちらも元気で、孫たちもかわいい盛りである
  と言う状況はやがて確実に変化する。子供たちも歳をとる。
  やはり「未だ先さ」と高を括っているうちに、気力、体力、頭脳の決定的な劣化は
  身近に忍び寄ってくる。
その点への想像力は無意識にブロックしているかのようである。
   だが、学生時代や仕事の思い出も遠くかすみ、友の訃報が増えてくる。
  せめて身の回りをきれいにと整理を始めてみても思い切りが足りない。
  撮り溜めた写真もなかなか整理ができないので、雑句、雑文を付けてまとめてみた。
  一貫したテーマがあるわけではない。編集もない。

  いわば過ごしてきた日々のかけら、その極々一部を切り出して並べてみたのだが、
  思いの外強く蘇るものがあり、時として悲しく眩しい。

  我々は積み上げた思い出の上に生きる。「思い出より憧れが好きだ」と言ったのは
  アルピニストのガストン・レビュファで、きざな響きを感じないでもないが刺激的な
  言葉ではある。

  しかし、残念ながらやがて憧れることさえも忘れるだろう。
   老人の徘徊には、一部、「憧れへの残渣」が起因しているような気もするが。
  こんな雑文を記したことも忘れる日が来ることは確かである。