日々のかけら


   いつかはそうなるのだと思いつつ、腹の中ではまだまだ先の事さと
   高を括っている。
   今、まさにその状態、「高齢者」としての生活を送っている。
 
  不完全燃焼の人生には悔いばかりが残っているのにも関わらずである。

  家族の状況は常に変化する。 
   夫婦共に元気で、孫たちもかわいい盛りであると言う状況はやがて確実に変化する。   当然、子供たちも歳をとる。

  家族状況だけでなく社会情勢も、友人関係も変化する。
  やはり「未だ先さ」と高を括っているうちに、気力、体力、頭脳の決定的な劣化は
   
身近に忍び寄ってくる。
  不思議なことに、その点への想像力は無意識にブロックしているかのようである。
 
 
  だが、学生時代や仕事の思い出も遠くかすみ、友の訃報が増えてくる。
  せめて身の回りをきれいにと整理を始めてみても思い切りが足りない。
  「まだいいさ」の精神である。
  懲りていない。

  撮り溜めた写真もなかなか整理ができないので、雑句、雑文を付けて
  まとめてみた。ついでにPCのハードディスクに眠っていた雑文も
  並べてみた。
  一貫したテーマがあるわけではない。編集もない。
  いわば過ごしてきた日々のかけら、その極々一部を切り出して並べて
  みたのだが、思いの外強く蘇るものがあり、時として悲しく眩しい。

  我々は積み上げた思い出と、そこから湧き上がる憧れの上に生きる。
  「思い出より憧れが好きだ」と言ったのはアルピニストのガストン・
  レビュファで、きざな響きを感じないでもないが刺激的な言葉ではある。
  憧れこそ生きる原動力である。
  
  思い出と憧れのバランスの中で生を全うできる人は幸せである。
  残念ながらやがて憧れることさえも忘れる状況が来るかもしれない。
  忘れるまで行かずとも、あこがれを実行する気力、体力、勇気、覇気
  といったものが減退する。
  老人の徘徊には、一部、「憧れへの残渣」が起因しているような気もする。
 
  こんな雑文を記したことも忘れる日が来ることは確かである。